明石焼の誕生

明石焼は本場明石のまちでは「玉子焼」とも呼ばれています。明石に住んでいる年配の方々は、「タマゴヤキ」ではなく「タマヤキ」と呼ぶ人もいます。
江戸時代のある日、袖の中に入れていた卵が割れ袖がバリバリに…。
この出来事で卵に接着剤(ノリ)のような効果があることを発見しました。その卵の白身を接着剤として、当時は装飾品「明石玉」が作られたそうです。しかし、余った黄味の使い道に困り、何か良い食べ方はないかと考えられたのが、明石焼の原型になったと言われています。
また当時、塩は高価な調味料だったため、塩気の代用として干物のタコを入れていたようです。明石焼の一人前あたりの個数は、店によって異なります。一人前が銅板の焼き鍋一つ分にあたるため、一人前を一鍋(ひとなべ)と呼びます。
当店ではお一人で食べやすい十個を一鍋としています。
※明石玉(あかしだま)とは模造珊瑚の一種です。明石で江戸末期ころから明治期にかけ、かんざしや首飾りなどの装飾品として製造されていました。

大阪のタコ焼よりも 歴史が古い!

明石焼は、江戸末期の天保の頃に誕生したと伝えられています。実際に商売としてはじめられたのは、明治末期。屋台店として「玉子焼」の名で販売されたそうです。その当時の明石焼(玉子焼)は、作家の椎名麟三や芸人のミヤコ蝶々らにも愛されたと記録に残っています。
後にこの明石焼(玉子焼)がベースとなり、大阪の地でタコ焼が誕生したと言われています。

タコ焼とココが違う!

生地が非常にやわらかいところ、材料に小麦粉以外に浮粉(じん粉)と呼ばれる小麦でんぷんの粉を使うところ、焼き鍋が熱伝導の良い銅製であるところ、明石焼の玉を返すのに銅製の焼き鍋を傷つけないよう、金属製の道具を用いず菜箸を使うところ、具が基本的に蛸のみであるところなどがあります。

食べ方の違い

大阪のタコ焼は通常ソースを塗って鰹や青のりなどをトッピングしたり、マヨネーズを塗ったりすることもあります。しかし、明石焼の食べ方の本流は、明石焼の玉を出汁につけて食べるスタイルこそが明石焼の最大の特徴です。
出汁は元々、熱い明石焼を冷まして食べるためにありました。しかし、現在では温めた出汁や常温の出汁など様々なカタチで提供される店があります。出汁に薬味としてネギや三つ葉を浮かべたり、一味をお好みで入れたりします。
当店では、熱い出汁とネギ又は三つ葉、一味をご用意しています。

明石焼の材料について

明石焼は小麦粉とじん粉(浮粉(うきこ)のこと)を混ぜて生地を作ります。
このじん粉のおかげで焼いても固くなりません。明石焼の特徴のふわふわ感は、たっぷりの卵とじん粉から生まれます。

全国でも知られる明石蛸を使用

明石蛸が全国的に有名になったのは、明石海峡の環境にあります。明石海峡は豊富な餌に恵まれ、速い潮流に蛸が揉まれることで足が太く最高の蛸が育つのです。また、しっかりとした蛸独特の味が人気の秘密です。
蛸には疲労回復の効果があるタウリンが多く含まれています。

明石焼を乗せた板はなぜ斜め?

私たちは明石焼の板を「上げ板」と呼んでいます。お客様にこの板はなぜ斜めなんですか?と、質問をよく受けます。
これについては色んな説があります。焼き上がった時に形を崩さない工夫として、銅鍋の上に上げ板を置き、ゆっくりひっくり返します。その時、上げ板をおさえるためにゲタ状の「持ち手」がついた説。その上げ板のまま、お客様に出されることで斜めになっています。
まな板状の上げ板は手前が低く奥が高くなっています。これは、上げ板の洗浄の際に同方向に重ねると水切りがよいためや、お召し上がりになるときに奥の柔らかい明石焼を取りやすくするという説もあります。
私たち職人は、焼き鍋を裏返しにして上げ板の上に明石焼をのせる動作があります。その動作が明石焼を焼く上で、ひとつの見せ場となっています。

『蛸の日』があるのをご存じですか?

蛸の日を半夏生(はんげしょう)と呼び、半夏生は夏至から数えて約十一日目にあたる七月二日頃のことです。
七月上旬といえば、梅雨も後半となる頃、関西では豊作を祈って蛸を食べる習慣があります。これは、作物が蛸の足のように、大地にしっかりと根を張ることを祈願するといった意味が込められています。